Vision of Life

青年海外協力隊(2016-3次隊)
2017年1月から2年間、ドミニカ共和国で自動車整備隊員として活動中。
日々の出来事をdisりながら記録に残してます。

8月12日(578日目:536日目) ¿Cómo se dice “selfie” en español?: 自撮りday

¿Cómo se dice “selfie” en español?: 自撮りday


今日も遅起き。

午前中、

Conversaciónの話題作成。

日系編完結。


最近アブローラー始めたから、現状の記録用に動画撮影。(動画はfacebookかInstagramを参照)

アブローラーで"いかに筋肉に効かせるか"ではなく、"いかに筋肉に効かせないか"をコンセプトにやってるから、"筋トレ"ってより"脱力トレ"。

加齢と共に体力も筋力も衰えていくから、いかに省エネで効率的に身体を操るか。

負荷を逃がしたり分散させたりすれば、アブローラーで回数をこなす事はそんなに難しく事ではない。

目標は、筋肉に頼らないで昔と同じレベルのフルストロークまで到達して、回数をこなす。


正午頃にモニュメントへ行って、ぼっちでプロフィール用の撮影会(笑)

携帯をタイマーセットして、ベンチの新聞読んでる銅像のマネ。

風で新聞がめくれたり、角度が悪かったりと、1人で撮り直ししてるのを向かいのレストラン客がずっとガン見(笑)

私はクッソ楽しんでやってるから、あなた達がどう思って見てるはどうでもいい事。

どうぞ話題のネタに使って下さい。

新聞読んでるのと新聞覗き見してるのの2バージョンを撮影。

この一部始終をタイムラプスで撮影してたら更に面白かったと思う。


自撮りを楽しんだ後、ランチへ。


ランチ帰りにテコンドーの試合観戦。

狙い澄ましてアタックするのかと思ってたけど、ポイント制だからなのか、お互いが"とりあえず数撃て"的な感じでわちゃわちゃ蹴り合ってる場面は子供の喧嘩みたいで面白かった。

でも、足技と連続蹴りの回転数はすごい。

連続回し蹴りに対して、しっかり見て軸足払って倒す対応は上手かった。(動画はfacebookかInstagramを参照)

足技の見たがカッコいいから、流行るのも頷ける。

ドミニカ人スタッフのポロシャツにはKOICAのロゴが入ってた。

残念ながらKOICAの人は居なかった。


帰宅して、

ブログ書き。


今週末はブログ書きに時間を割いた為、スペイン語勉強した時間は僅かしかなかった。



Nikkei: 日系 ( 4/13 )

4.

La Rep. Dominicana en el momento de la inmigración estaba bajo la dictadura de Trujillo, y había muchas expropiaciones de terrenos, por lo que los ojos locales que miraban a los inmigrantes japoneses estaban fríos.

La tragedia continuó, y fue objeto de saqueo junto con el colapso de la administración, incluso algunas cosechas y herramientas agrícolas fueron robadas.

Muchas personas sufrieron debido a sus dificultades y algunos migrantes escaparon o se suicidaron.

The Dominican Republic at the time of immigration was under the dictatorship of Trujillo, and there were many expropriations of land, so the local eyes that looked at the Japanese immigrants were cold.

The tragedy continued, and was looted along with the collapse of the administration, even some crops and agricultural tools were stolen.

Many people suffered because of their difficulties and some migrants escaped or committed suicide.

入植時のドミニカ共和国はトルヒーヨ独裁政権下で、半強制的に収用した土地も多かったため、日本人移民を見る現地の目は冷ややかでした。

悲劇は続き、政権の崩壊とともに略奪の対象とされ、わずかな収穫物や農具さえ強奪されました。

移住者の中には逃げ出し、生活苦の末、自殺した人々も少なくなかったといいます。

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