その後(2/2)
久しぶりにブログにログインしてみたら、2年以上更新されてないにもかかわらず未だに覗きに来てくれている方がいる様で、驚きと感謝です。
某関係者からは、「"ここに書いてある内容はフィクションでした"って書いて下さい」って言われたりと、波紋しかない内容しかないですが、今改めて振り返って、自分でもかなり過激な内容を書いていたなと感じますが、その当時、あの環境に置かれていたからこそ書き殴ったリアルな感情だったんだとしみじみ思います。
2年前の2019年4月の投稿"その後(1/2)"の後に、"その後(2/2)"として何を書こうとしてたのか、今ではもう思い出せないです。
現在でも何かあったら写真を撮ってるのでブログネタはあったりするのですが、JICAボランティア期間中に毎日書き続けた反動もあり、ブログモチベーションは低迷中です。
なので、2021年7月の時点での"その後(2/2)"を書き留めたいと思います。
2019年4月から教育委員会の委嘱業務で学校支援をしていました。JICAボランティア時代、途上国のお役所仕事の環境にいて、途上国のお役所は残念な仕事をしてるなと思ってたけど、日本のお役所仕事を目の当たりにして、先進国である日本のお役所仕事も途上国と同じレベルな事に愕然とし、日本ですらこれなんだからドミ共はむしろ頑張ってたんじゃないかと、あの時キツく当たってしまった方々に申し訳なかったなと今更ながら反省しました。お役所仕事レベルを逆輸入で知り、逆カルチャーショックでした。
そんな事もあり、更にここでの業務にキャリアアップは存在せず、環境改善の見込みも途上国以下、事務所での勤務実態さえあれば何もしてなくても給料がもらえるって環境に嫌気がさし、2年目は業務を効率よく済ませて勤務時間を極力減らしました。恐らく、それまでの前任者の方々は、やる事なくても事務所にいてもらえるギャラはしっかりもらうってスタンスだったと察します。事務所に居るだけで給料がもらえるって気楽な業務ですが、私は短い人生をそんな事に浪費はしたくなかったので、2年で委嘱契約を切りました。寿命が2000歳とかならダラダラと続けてたと思います。
2021年7月現在、農業をベースに、今までの経験とフットワークの軽さを活かして複数の仕事を持ち、その時々で仕事をチョイスして収入を得ています。JICAボランティアになる前の収入には到底及ばないし、このスタイルでその収入にまで到達出来ないかもしれないけど、新しい働き方として試行錯誤してるのを楽しんでます。
田舎で"半農半X"って言葉を使ったりすると、「何それ?」って聞かれるので説明したりするのですが、「結局は兼業農家って事でしょ?」って言葉が返ってきたりします。"生きがい"って概念を潰されて社畜してる人程、"半農半X"って生き方に共感して頂けない感じがします。
"半X"でどんな仕事をしてるかを書くのはとても長くなったり、その仕事をしてる事を公に公表してはならない仕事もあったりするので、また別の投稿で。
直近での大きなイベントとして、私は東京オリンピックボランティアに携わる事になり、私のポジションは選手村でキューバ選手団のアシストに決まりました。
選手団の対応なので、オリンピックが開催される前から私の活動は始まります。
スペイン語圏でのJICAボランティアの経験があってこそのポジションなので、楽しみたいと思います。
時間があったらこのブログでシェアします。