Vision of Life

青年海外協力隊(2016-3次隊)
2017年1月から2年間、ドミニカ共和国で自動車整備隊員として活動中。
日々の出来事をdisりながら記録に残してます。

11月28日(321日目:279日目)

活動279日目。

午前中、先生から今日は一緒に仕事しようと持ちかけられる。

内容は、実習場に搬入されているマツダ車の足回り修理。

足回りは昨日のうちに外されてた。

フロント左側ハブベアリング破損により中古ハブAssyと交換。

フロント右側はロアアームボールジョイントのガタ過大。

一緒にって事だったけど、実際は先生が作業して、生徒さん1人がアシスタントに入ったから、私は見てるだけパターン。

先生の一連の作業を見てたけど、私の方が早くて確実な作業を出来ると思う。

左側ナックルの中古品にはハブボルトが2本しか付いてない。

そのまま組んでたからはハブボルトが無くても気にしない文化なのかと思って傍観。

先生は中古品を組んで、いざタイヤを付けようとした時にハブボルトが2本しか付いてないのに気付き、一言「Diablo(クソッ)」。

で、キャリパーをもう一度外して、足りない3本をハブベアリングが破損した方のナックルから外して追加取り付け。

この段階まで気付かなかったって事に正直驚いた。

そして、タイヤを付けてホイールナット締めてる時にブレーキパッドとバックプレートが干渉して異音発生してるのに気付き、またタイヤ外してバックプレート修正。

ボルト付いてないのは組む前から目視で分かる事だし、バックプレートの干渉とかはブレーキ組む時に摺動させれば分かる事。

両方共に私は初期からわかってたけど、先生は組む前に中古品の品質確認、途中で取り付け確認をするって事をしないから、後半になって気付いて無駄な作業を増やす。

右側ロアアームボールジョイントは溶接留めされてて外れない状態。

交換するボールジョイントは中古ナックルに取り付けられてた物を使用するっぽい。

溶接留めされて外れないから、整備工場にロアアーム持ち込んで取り替え依頼してた。


ランチ。

路上でドラム缶コンロで鶏肉グリルされてるのを見かけて鶏肉だけにしようかと思ったけど、販売単位が丸々一羽ごと。

一羽200ペソだから安いっちゃ安いけど、昼に一羽完食は流石にキツイから、結局いつものコメドールへ。

毎日の白米量が多いから体重増加と糖分摂取過多が気になりだしてきた。

ランチ内容変更もちょっと考えようかな。

ランチ後、事務所隣りのヤシの木からココナッツが落ちてたので、手で外皮を剥ぎ取る。

比較的若いココナッツなので外皮が硬い。

野生覚醒で無理矢理剥ぎ取る。


午後からは明後日からの中間報告のパワポ作りと内容確認。

そんな時に同期の自動車整備隊員からLINE電話が来たので久しぶりにお互いの活動の事を話す。

中南米自動車隊員あるあるネタになりそうな情報共有。

"金の切れ目が縁の切れ目"

活動が協力的で順調に進んでる様であっても、金の切れ目で相手の態度が180°変わる。

支援受ける方がなんでそんなに態度デカイのか意味不明。

私の配属先は当初からそんな感じだった。

"物買ってくれないならボランティア要らない"って意思表明してくれれば、すんなり任地変更出来るのに。

毎日「ケチケチ」言われる筋合いは無い。

同じ職種でたまに連絡取り合えるとお互いの励みになる。


配属先は明日は休みにして首都でフィエスタするらしい。

何かと付けて首都に集まったり、レウニオンだのフィエスタだの言って税金と国家予算使って飲酒飲み食いしてる。

首都への移動の際、配属先にはデカイマイクロバスあるのにそれを使わないでバス会社からチャーターしてる。

きっとあのバスもどこかにたかって買わせたか、予算対策に購入したに違いない。

利益の対価として収入を得ている企業と、大した仕事してなくても安定した収入が転がり込んでくる国家機関とはお金の価値観がまるで違う。


活動後、矯正歯科医へ。

前回の時、次回は歯の間にリング入れて隙間作る処置するって言ってたのに、ワイヤー調整して終わり。

確認したら、前回言った事忘れてるし。

任期中にきちんと施術してくれるのか不安。

帰り途中に乾燥椎茸購入。

家の目の前にエクリプス路駐してあった。

珍しい。

夜、パワポ作り終わったけど、時間配分の確認する前に疲れて寝落ち。


①この国の職業訓練所の在り方に疑問を抱く。

②ココナッツ外皮を素手で剥ぎ取ってた際、パワー負荷に関節が負けて、午後からジワジワと突き指状態になった。

③今日1番の驚きは社外品インタークーラー装着したエクリプスを見かけた事。FFターボ車を日本でも販売したら面白いのに。

11月27日(320日目:278日目)

活動278日目。

今日は週末二日間の疲れとサルセドで宿泊だったから活動休もうかとも思ったけど、配属先と連絡取れないし、カウンターパートもバカシオネス中で連絡しても意味無い。

行ってもやる事は無い。

でもやる事無いからって、行かなかったらそれまでになってしまうので、サルセド発でいつもの時間に行けるか確認してみる事に。

って事で、早朝6時半頃に施設を出発。

泊まり込み守衛さんはまだガッツリ寝てるので、鍵無しで開けれる扉から外へ。(この扉は中からは開けられるけど、外からは開けられない構造。)

門の柵も施錠されてるから仕方なく乗り越える。

サンティアゴ行きグアグア乗り場が分からないから道端で聞いて場所確認。

近かったから直ぐに到着。

平日の朝だけあって通勤者やら通学者で直ぐに満員になり、7時頃に出発。

ぎゅうぎゅうでキツくて背もたれにもたれかかる事も出来ず、安らげない。

そんなグアグアに揺られて、約1時間でサンティアゴへ。

ルートは家からはちょっと離れてるけど、1番近そうな場所で途中下車。

そして歩く。

途中、デモカー的な車発見。

ドミ共にしては珍しくカスタムされてる。

何よりタイヤも考えてチョイスされてたのが驚き。(以前観に行ったドラッグレースのエントリー車両の大半はウンコタイヤ装着されてた。)

急ぎ足で家に帰り、荷物降ろして着替えして配属先へ出発。

何とかいつも通りの時間帯に行く事が出来た。


朝食食べる時間無かったから、着いてからブラックコーヒーとお菓子をつまむ。

今日も整備科の授業は殆どなく、当然のごとく私の授業も無い。

もう疲れてて、とりあえず事務所でボーッと過ごす。

で、11時前位から動き出す。

とりあえず、日本語教室の期末テスト模範解答書作り。


ランチ。

今日は配膳する人が違かったので白米はいつもより少な目。

食後に散歩がてらスーパーで歯磨き粉購入。


午後、ちょっと居眠りして、模範解答書を終わらせる。

その後、中間発表のパワポを見返す。

何気にまだ作り終わってない。

1人の先生に「今日は静かだけどどうした?」って声掛けられる。

いつも静かにしてるけど、今日は更に静かだった様だ。

こんな中でも、とある先生は何かにつけて「JICAは金持ちなのにお前はケチだ」って言っきたけど、疲れてるから適当に流す。


帰宅後、ソファで寝る。

一眠りしてから溜まってた洗濯をする。

一息ついて、ベッドで寝る。


①サンティアゴに戻ってきたらアレルギー性鼻炎が落ち着く。きっと、ずっと集団行動し続けてたストレス。Solitario. (配属先でのアレルギー性鼻炎は純粋なるストレス。)

②サルセドもビジャタピアも案外近い。

③今日は、"何もなくても配属先に行く事に意味がある"。そんな日だった。

11月26日(319日目:377日目)

週末日曜日。

今日もお手伝い。

朝食は宿泊場所の近所のコメドールで。

朝からガッツリ。

昼の部の途中からシニアボランティアさんが帰ったので、習字コーナーを1人で対応。

と言っても、おまけにコーナーなのでほぼ依頼は来ず。

日中は日差しが強いのでお祭り来場者自体も夜と比べるとと少ない。

昨日は1日で30人からの依頼、その中で日中の部では5人位。

途中、キッチンのドリンク担当ボランティアが帰ったので習字コーナーは閉めて急遽ドリンク担当に。

結局、今日の習字依頼は1人。(子供にサービスで書いてあげたのは1人。)

裏方のドリンク担当中に子供達が来て箸の使い方を聞いて来たので、説明とレクチャー。

子供は感覚を掴むのが早くて直ぐに箸使いを覚えてた。


私は昼の部が終わったら帰る予定だったけど、半分以上のボランティアが昼の部までで帰るので夜の部は人手不足。

なので、急遽夜の部もドリンク担当でお手伝いする事に変更。

夜の部までの間は、市役所のエアコンで涼んだり、聴力障害になるのが確実と思われる爆音ミュージックを流してるコルマドに行ったりしてダラダラと過ごす。


急遽入ったので全体の流れとか把握出来なかったから協力は微量なものだったけど、居ないよりはマシ位の働きにはなったかなって感じ。

夜の部は完全裏方だったので浴衣は無し。


夜10時迄やってたので、宿泊は昨夜同様にSalcedoの高齢者施設。

深夜夜食に油まみれの肉を食って不健康を堪能。

今月末に健康診断で採血あるけど、それはそれ。

夜中中も外では爆音ミュージック。

疲労でそんなの爆音関係無く就寝。


①お祭りのお手伝いしてたこの2日間で、やたらと"中国人か?"って聞かれまくる。ハナっから中国人と決めつけてバカにしてくるのドミ人が少なかったからまだマシ。そして日本人だと分かると好印象。

②2日間のお祭り手伝いで、普段の活動では出来ない体験をする事が出来た。

③今日もアレルギー性鼻炎は酷かった。


お祭りのタイトル"Festival Cultural Hormanas Mirabal"の"エルマナス・ミラバル"というのはミラバル姉妹という意味です。

ドミ共では1930年〜61年までラファエル・トルヒーヨという独裁者がいました。

ミラバル姉妹は裕福な実業家の息女で全部で4人いました。

そのうちの3人がトルヒーヨ独裁政権に対する反体制運動活動家として活動をしていて、歴史的な英雄です。(ドミ共紙幣の200ペソ紙幣にはミラバル姉妹が印刷されています。)

彼女らの反体制運動の高揚に危機感を感じたトルヒーヨ大統領は、1960年11月25日に暗殺者を差し向け、彼女らは交通事故に見せかけて殺されました。

これが更なる反体制運動の高揚のきっかけとなり、半年後にはトルヒーヨ大統領はクーデターにより暗殺。

1999年12月17日、国際連合は国連総会にてミラバル姉妹の暗殺された日である11月25日を女性への暴力撤廃国際日として採択されました。