Vision of Life

青年海外協力隊(2016-3次隊)
2017年1月から2年間、ドミニカ共和国で自動車整備隊員として活動中。
日々の出来事をdisりながら記録に残してます。

その後(2/2)

久しぶりにブログにログインしてみたら、2年以上更新されてないにもかかわらず未だに覗きに来てくれている方がいる様で、驚きと感謝です。


某関係者からは、「"ここに書いてある内容はフィクションでした"って書いて下さい」って言われたりと、波紋しかない内容しかないですが、今改めて振り返って、自分でもかなり過激な内容を書いていたなと感じますが、その当時、あの環境に置かれていたからこそ書き殴ったリアルな感情だったんだとしみじみ思います。


2年前の2019年4月の投稿"その後(1/2)"の後に、"その後(2/2)"として何を書こうとしてたのか、今ではもう思い出せないです。

現在でも何かあったら写真を撮ってるのでブログネタはあったりするのですが、JICAボランティア期間中に毎日書き続けた反動もあり、ブログモチベーションは低迷中です。

なので、2021年7月の時点での"その後(2/2)"を書き留めたいと思います。

2019年4月から教育委員会の委嘱業務で学校支援をしていました。JICAボランティア時代、途上国のお役所仕事の環境にいて、途上国のお役所は残念な仕事をしてるなと思ってたけど、日本のお役所仕事を目の当たりにして、先進国である日本のお役所仕事も途上国と同じレベルな事に愕然とし、日本ですらこれなんだからドミ共はむしろ頑張ってたんじゃないかと、あの時キツく当たってしまった方々に申し訳なかったなと今更ながら反省しました。お役所仕事レベルを逆輸入で知り、逆カルチャーショックでした。

そんな事もあり、更にここでの業務にキャリアアップは存在せず、環境改善の見込みも途上国以下、事務所での勤務実態さえあれば何もしてなくても給料がもらえるって環境に嫌気がさし、2年目は業務を効率よく済ませて勤務時間を極力減らしました。恐らく、それまでの前任者の方々は、やる事なくても事務所にいてもらえるギャラはしっかりもらうってスタンスだったと察します。事務所に居るだけで給料がもらえるって気楽な業務ですが、私は短い人生をそんな事に浪費はしたくなかったので、2年で委嘱契約を切りました。寿命が2000歳とかならダラダラと続けてたと思います。


2021年7月現在、農業をベースに、今までの経験とフットワークの軽さを活かして複数の仕事を持ち、その時々で仕事をチョイスして収入を得ています。JICAボランティアになる前の収入には到底及ばないし、このスタイルでその収入にまで到達出来ないかもしれないけど、新しい働き方として試行錯誤してるのを楽しんでます。

田舎で"半農半X"って言葉を使ったりすると、「何それ?」って聞かれるので説明したりするのですが、「結局は兼業農家って事でしょ?」って言葉が返ってきたりします。"生きがい"って概念を潰されて社畜してる人程、"半農半X"って生き方に共感して頂けない感じがします。

"半X"でどんな仕事をしてるかを書くのはとても長くなったり、その仕事をしてる事を公に公表してはならない仕事もあったりするので、また別の投稿で。


直近での大きなイベントとして、私は東京オリンピックボランティアに携わる事になり、私のポジションは選手村でキューバ選手団のアシストに決まりました。



選手団の対応なので、オリンピックが開催される前から私の活動は始まります。

スペイン語圏でのJICAボランティアの経験があってこそのポジションなので、楽しみたいと思います。

時間があったらこのブログでシェアします。


その後(1/2)

帰国後、

日本語教育ボランティアの勉強会に参加したり、

通訳ガイドの会に加入したり、

これからのキャリアを考えたり、

のんびりと過ごしてました。


4月からの進路も決まり、ここより管理がしやすそうなブログサイトにも登録。

久しぶりにこのサイトにログインしたら、今でもたまに見に来てくれていた方々がいて驚きと感謝。

放置されてたのにチラ見しに来てくれてありがとうござます。

ボランティア経験の振り返りで書きたい事はいくつかあるので、それはこのサイトに。

そして、新たな事は別のサイトに切り替えていこうかと思っています。


4月からは、やってみたかった事の一つの合気道を始めます。

1月9日(727日目) Llegué a Japon: 帰国

Llegué a Japon: 帰国

予定通りに15時頃に到着。

運び出て来た2個のスーツケース内、片方のスーツケースのバンドが無くなっていた。
運搬中に外れて紛失したのかと思ってたけど、スーツケースを1個宅急便で送ろうと思って開いてみたら、バンドが中に入っていて、それと共に中を調べたって札が入ってた。
ドミ共では立ち合いで調べられて、検査員が出した中身をガチャガチャに入れようとしていたのを自分で入れ直した。
アメリカでの検査は勝手にされてたけど、それなりに中身はキチンと入れられてたから、途上国と先進国との仕事の質の違いを感じた。

空港内のコンビニ店員さんの丁寧な対応を受けて、日本に帰ってきなぁって感じ。

スーツケースを1個自宅に送ろうと思って宅配便コーナーへ。
宅配便の受付でスーツケースに酒が入ってるって申告したら、酒は別送で送る決まりらしく、酒を別送にしてその分の空きスペースにもう1個の方のスーツケースの中身を移した。
近くではスーツケースの宅配依頼をしてる中年マダム、スーツケースに酒を入れて発送出来ないって事に店員さんに文句言いまくってる。
しまいには携帯で身内に電話して、"酒をスーツケースに入れて発送してくれない"とか不満をグダグダ垂れ流してた。
酒を送れないんじゃなくて、"酒をスーツケースに入れた状態での発送は出来ないから、酒は別送になる"って言ってるんだから、素直に別送すりゃいいのに不毛なやりとりで店員さんに無駄な対応をさせて、発送依頼の順番待ちをつかえさせてる。
どうしても酒をスーツケースに入れた状態で発送したいなら別の業者さんに依頼すればいいのに、こういうエゴを通そうとしてモメモメしてる中年マダムを見ると、日本だなって感じる。

警備員さんが沢山いたらか、何事かあるのかと思ってたら、ミランダカーが来日するタイミングと被ってたらしい。
荷物の発送手続きしてたら、見る事が出来なかった。
ミランダカーのインスタには同期が写り込んでいた。


ペルーの同期隊員と合流して、"2年前の出国日に一緒に蕎麦食べたから、2年後の帰国日にも一緒に蕎麦食べよう"って約束を実現。


外はゴミも落ちてなければゴミ臭くないし、糞尿臭くもない。
行き交う人達も綺麗な身だしなみ。
日本では普通の光景だけど、途上国で2年間暮らしてると新鮮に映る。


ホテルにチェックインして近くのラーメン屋さんでつけ麺。


10日は市ヶ谷のJICAで帰国後オリエンテーション、
11日は午前中に新宿の病院で健康診断して、午後から麹町のJICAで帰国後面談。